今シーズン、当地ではまだ雪を見ていません。桜が早く咲きそうな気がします(写真は、去年撮った写真です)。

タイトルとは全く関係のないつれづればなし。

私たちのセンターのホームページには、「認知症になっても、障害があっても、安心して自分らしい暮らしを続けたい」というフレーズを掲げています。

実際に相談を受けていて、精神障害の息子さんと暮らしを共にしてきた親御さんの思いに触れたり、認知症の人といっしょに暮らしておられるお嫁さんのお話や私たちに話したい思いを伝えきれないで何回も何時間もこられる方のお話を聞いたりして、当事者でない私はどれほどの助言ができているものかと、そういうたいそうなフレーズを掲げていることに、身の縮こまる思いもしています。

担当市町のあるまちから、高齢者虐待防止ネットワークの連絡会議で、センターの活動の報告をしてもらいたいといわれて、資料を準備しました。
養護者による高齢者虐待の被虐待者の7割は、認知症です。(厚生労働省平成30年度「高齢者虐待の防止、高齢者の養護者に対する支援等に関する法律」に基づく対応状況等に関する調査結果<PDF>p.9)

なんども同じことを聞かれ、なんど言っても余分な買い物をしてくる・・・仕事で疲れているところに繰り返される理解できないことがらにイライラが募って(確かに「募る」と「募集する」は違う言い方がありますね。余談ながら。)、手が出てしまうことがあるというのは、乱暴なひとでなくてもあることだと思います。私がこれまで見聞きした話で、最初に手をだしてしまったときに、ちゃんと福祉に相談しているのに、その後、虐待として措置で分離させられる結果になったこともありますが、それは、その加害したひとにすべて責任を負わせることなのかという思いもあります。

朝日新聞社が運営する認知症についてのウェブサイト「なかまある」で、例えば、「認知症のせいとわかっていても同じ質問にイライラ、つい…【お悩み相談室】」という記事があり、なるほどと思えるノウハウも書かれています。https://nakamaaru.asahi.com/article/13049664 たとえば、相談を受けた福祉の側が、あの人に、こんなふうな助言をしていたらなんとかなったのかなあと思ったり。(「認知症はじめました」のまんがもおもしろい。https://nakamaaru.asahi.com/series/11019265

相談業務歴がまだまだ少ないので、立て続けに重い相談があるとしょんぼりすることも多いです。
相談に来られた方のことを思いながら、学ぶことはたくさん、としみじみ思っています。