沖縄県知事が急逝されたことで、日曜朝の報道番組では、沖縄に関して多く時間をとって放送していました。コメンテイターの一人が、「ちむぐりさ」という言葉を紹介していました。

私が、この言葉を初めて知ったのは、『ボランティアへの招待』(岩波書店、2001)のなかの、阿部志郎氏の書かれた「新しい福祉コミュニティの実現へ」と題した文章を読んだときです。

『他人に重荷を負わせ、自分は安全地帯にいる。幸運に感謝するのが常識で、病気に悩んでいる人に同情を寄せるのが精一杯であろう。障害をもつために偏見にさらされて苦しむ友人に対して、障害のないことを内心幸せに感ずるのが普通ではないか。それを、他人が痛んでいるのに、自分は健康で安心して暮らせるのを、すまないと思う打ちくだかれた謙虚さが「ちむぐりさ」にほかならない。』(P.32)

そして、「ちむぐりさ(肝が苦しむ)」という言葉には、「本土」の言葉にみあう適当な訳語が見つからないと述べ、また、「ちむぐりさ」がボランティアの原点ではないかとあります。

私は、ボランティアの原点のみならず、いわゆる「共生社会」の原点ともなるのではないかという気がしています。

このことに関連して、書きたいことはたくさんありますが、少しずつ、あちこちに話が飛びながら書きたいと思います。