通勤途上、ハロウィンのデコレーションがされていました。
ハロウィンが何ものなのか説明はできません。

最近、Facebookよりもtwitterを見ることが多いです。

きのう、トレンドワードとして、ガッキーが上がっていたので、何ごとかと思ってクリックしてみたら、石原さとみさんが結婚するというニュースに反応した世間の男性諸氏が、「石原さとみが結婚してほぼ瀕死状態だけど次にガッキーが結婚したらもう死ぬわ。」とか「石原さとみさん結婚ということですが、大丈夫です。我々にはガッキーがいます」とか「石原さとみが結婚か・・・。まだガッキーと深キョンがいる(´ω`)」とか、投稿されていました(^_^;) 石原さとみさんの結婚ニュースが流れると、ガッキーがトレンドにあがるのだと妙に感心しました。

twitterをしばらくやってみて、発信はしないで読むだけですが、すごく危険なツールだなと思っています。(といいつつよく利用しています。)
自分が読んで気持ちよいことを書き込む人をフォローすることで、その人がまた「いいね!」しているよく似た意見をいう人が表示されるので、すごく偏ったというか、自分がそうだそうだと共感する意見ばかり読むことになります。そのことが、自分に心地良い意見ばかり読み、対立する意見を発する人を切り捨てるようなことになっています。おまけに、ほんとは品性があるはずの人が、自分と違う立場の書き込みに「あほ、バカか」ぐらいのことは書き込まれています。twitterでは、文字数に制限があるためか、議論ではなく一方的に切り捨てる言い方もあります。

J.S.Mill の『自由論』は、成年後見に関連して「自己決定権」の大切さを勉強をするときに出てくる本ですが、『自由論』には、議論することの大切さが書いてあります。「人間は、議論と経験とによって、自分の誤りを正すことができる。経験のみでは十分ではない。経験をいかに解釈すべきかを明らかにするためには、議論がなくてはならない」(岩波文庫、p.44)

政府も議論を嫌っているようで切り捨てるようなものいいが多くなっていて、世の中で議論がないがしろにされるのは好ましい風潮ではないと思われます。
アメリカの大統領選の公開討論会も、討論になっていなかったようですし。

あれ、ガッキーの話がどこかにいってしまいました。私に近い意見は、「ガッキーは結婚してもガッキー」でしょうか。いいね!をクリック。