成年後見制度は高齢者の人権を守るための制度である、という社会一般の受け止め方に反対しているわけではありません。しかし、成年後見制度は無条件に人の人権を守る制度ではなく、諸刃の刃のように、使い方を間違えれば高齢者の人権を侵害する道具になりかねません。[齋藤正彦]

「成年後見制度は高齢者の人権を守れるか」というテーマで、精神科医の斎藤正彦氏は、「認知症スタジアム」(http://dementia.or.jp)に寄せたビデオの中で、問いかけています。(https://youtu.be/-xriWbZU4mE

(注)齋藤先生のビデオの発言のテキスト文字に起こしたものが、次のサイトにあり、齋藤先生の発言の引用は、この労作に寄っています。http://www.arsvi.com/2010/20110802sm.htm (保佐を補佐と変換ミスがあり気になりますが読み換えてください。)

2011年8月公開のビデオであり、統計数字などは、その時代のもので多少今とは様子が違いますが、指摘されている内容はたしかに今も当てはまるものであると思います。

齋藤先生は、都立松沢病院の院長先生です。松沢病院のホームページに院長のコラムが載っており、これを読んでも、次のように述べておられて人権ということを大切にされている先生だとよくわかります。

精神科医にとって、患者さんの人権を守る、ということは、医療行為の一部だと言っても良いぐらい重要なものです。(http://www.byouin.metro.tokyo.jp/matsuzawa/aboutus/matsuzawa_voice/column/column20160816.html

話を戻すと、先に書いたビデオでは、本来自分の財産を好きに管理できないように権利を制限する後見や保佐の判断をするのには、鑑定が原則なのにほとんどの場合鑑定がされない現状があること、さらに、市町村長申立にも問題があるといわれています。

日常私が精神科医として臨床していますと、こういう場合に連てこられる患者さんの大部分が、単身生活をしている方です。地域包括支援センターや行政の担当者が、私どもの病院に患者さんと一緒にいらっしゃって、この患者さんはご自分でいろんな大事なことを決められない、だから成年後見人を決めたいので後見類型だという診断書を書いてもらいたいというふうなお話がございます。多くの患者さんは危なっかしいけど一人で暮らしておりますので、せいぜい補佐か補助という類型になるんですけども、行政や地域包括の担当者はそれでは困ると言います。(ビデオ発言からの引用)

実際、私たちがこれまでに相談にのってきた市長申立ての多くのケースは、それまで一人暮らしをしていた人が、なんらかの要因でいったん入院されることになり、そうすると、もう在宅では暮らせないから施設入所だという判断が支援者の間で決められて、入所のためには、成年後見人、あるいは保佐人をつけなくてはならない、ということになることが多くあります。

成年後見人がつけば、本人の意向にかかわらず、施設入所に、ことを進めることが可能です。

成年後見人がいったんつくと、成年後見人が本人の意思にかかわることなく本人の代わりに「代行決定」できます。逆に、本人がやりたいことをすべて後見人が否定することも可能です。

もちろん、就任する成年後見人次第なのですが、その成年後見人も当の本人が選ぶことはできません。

成年後見制度は、権利擁護支援のツールであると同時に、権利剥奪のツールでもある、ということを、私たちはいつも意識していなければなりません。

市長申立てが、単に、入所のためだけの必要性で選ばれるのではなく、その後のその人の人生にとって必要であることをよくよく考えなければならないと思います。

表紙の写真を変えました。ハケで払ったような面白い形の雲が流れていました。