高校のときに、急逝された先生の代わりに定年退職してからずっと経っているのだけど引っ張り出されちゃったよ、というようなご高齢の、臨時雇いの国語の先生が来られて、授業の合間に含蓄のあるおはなしをしてくださいました。

その先生が、「一期一会」という言葉を教えてくださったときの様子を覚えています。

茶道の話をふまえた上での話でしたが、「お客様とお別れをするときに、もしかしたらもう二度と会えないかも知れないと思い、ずっと角をまわって見えなくなるまで見送ると、お客様の方もこちらの眼差しに気づいてか振り返られて、また会釈をしてお別れをする」、そんな様子を教えていただきました。

10月1日に、緊急事態宣言が解除され、愛知県知事も県外への移動の自粛までは求めないということだったので、早速田舎の母に会いに帰ってきました。
齢90を過ぎた母親は、田植えをしてきた農村の人のように(実際そうなのですが)、腰が曲がっていて、杖をついて歩いていましたが、いっしょに行ったショッピングセンターでは結局歩くのがえらくなって車椅子に乗ってまわることになりました。話は、耳元で声を大きくすれば聞き取ることができます。

いっしょに過ごしたのは、4時間ほどでした。

実家で「それじゃ、元気でね」と別れを惜しんだ後、少し離れたところにある駐車場から車を出して実家の近くを通ると、母親が路地から杖をついて出てきてくれていて、手を振って見送ってくれました。
私も運転席の窓から手を出して手を振り続け、母がずっと手を振ってくれているのをバックミラー越しに見ていました。

父と母と並んで、いつもそういうふうに見送ってくれていましたが、いまは、もう母親ひとりになって見送ってくれています。
いつも、これが最後かもしれないと思い、田舎を離れるのですが、もちろんまた、お互い元気で会えることを願っています。

私たちの事務所に相談に来られた方がお帰りになるとき、その方の来し方を思い、ゆくすえの幸せを願いながら、見えなくなるまでお見送りをしています。
国語の先生がおっしゃったようにこちらを振り返られる方は、ほんのわずかですが。