休日の昨日、自室でスマホを触っていると、Be My Eyes のコールがありました。
Be My Eyesについては、2020.3.292020.5.24 のつれづれに書いています。

Be My Eyesの仕組みは次のとおりです。
視覚障害のある方とボランティアの双方が事前にアプリで登録します。
視覚障害のある方が助けてほしいときに操作をすると一斉にボランティアにコールが入ります。
もっとも早く応答したボランティアとビデオ通話がつながり、視覚障害のある方とのやりとりがスタートします。

ほんとに、なった瞬間に応答するぐらいでないと、「他のボランティアが応答されました」ということになり、ボランティアできませんが、他の方が対応されたという安心感があることやちょこっとした気軽にできるボランティアです。相手の方は声しかわからず、どこにお住まいかもわかりません。スーパーらしいところで「寿司のネタを見て何が入っているか教えてくれる」というリクエストがあったとき、1000円のパック入りお寿司がとてもおいしそうなネタできっと海鮮もののおいしい地域の方なんだと思ったりしました。

さて、昨日のお手伝いの内容ですが、男性の声で「バス停が見えますか?」というものでした。
その方が見せてくれている映像にはバス停が映っていませんでした。
「バス停はありませんが、JAの建物が映っています」(このときぽつんとある建物がJAさんということで、ちょっと田舎かなと思う)
「JAの前にあるはずなんだけど」
「もう少しカメラを右に振ってもらえませんか・・・ありました」
「もう少し右に行ってわたればいいね」
「横断歩道が少し先にありますね」(20mほど先に横断歩道)
「バス停のところで渡るから大丈夫」
「えー横断歩道まで行きましょうよ。あと10mほどですから」(2車線の道ながら車がわりと行き交いしている)
「横断歩道まで行くとバス停よりも向こうになるでしょ」
「そうですけど、横断歩道を渡ってください。もう少しで横断歩道ですから」
とか、やりとりして、なんとか横断歩道まで来てもらいました。
「じゃ、車とめる」といってその方は白杖の先を振り始められました。
合図なんでしょうか。
しかし、いまどきそんな町があるんだと思いましたが、白杖をもった人が横断歩道で白杖を振って合図しているのに、車は止まらずに通り過ぎていきました。1台のみならず数台が通り過ぎました。
「えー、みんな止まってくれませんね」
「もう渡るわ」といってその方、渡ってしまいました。
音で判断されたのかもしれませんが、ヒヤヒヤです。
渡り終えたところに歩道があって、段差もあり鉄棒も立っていましたので、
「段差と鉄棒が!」
とお声かけしましたが、白杖で確認されているのか、はいはいって感じでした。
「もう少し先にバス停があります。若い女性が立っておられます」
この「若い女性が立っている」という情報は、ぼくの関心を引きましたが、あるいは視覚障害の方には無意味で余分な情報だったかも知れません。
そんなことを言っているうちに、
「あっバス停が!」
といった瞬間、ビデオ越しでしたが、ぼく自身がバス停にゴン!しそうでした。ゼイゼイ。
「ありがとうね」
「下手な案内ですみませんでしたー」
「いやいやありがとう」
ということで、ひさしぶりのBe My Eyes 無事お手伝いできて良かったです。

Be My Eyes で、いろいろなお手伝いの経験をさせてもらいます。当事者じゃないと気づかないけど、それだけいろいろな場面でちょっとしたことでお困りになることがあるんだな、と思います。
これまで、楽しそうで、ステキだなと思ったのは、
「どうです。これから20分ほど、ぼくといっしょに散歩しませんか」
というリクエストでした。
残念ながら、買い物途中でしたので「ごめんなさい」しましたけど。

iOS android ともアプリがありますので、あなたもぜひ、ちょこっとボランティアをお楽しみください。

(写真は、本文と関係ありません)