久しぶりに、年末に帰省しました。

人混みが苦手で、GW、盆、年末年始に帰省することはこの2、30年なかったのですが、90いくつかになる母親に会っておこうと思い、帰ってきました。

その道中で、『認知症フレンドリー社会』(徳田雄人著、岩波新書、2018)を読みました。

私たちのセンターでは、「認知症になっても障害があっても安心して自分らしく暮らしたい」をキャッチフレーズにしてチラシも作ってきました。
そのことはどういうふうにして実現することができるのか、あらためて考えていきたいと思いました。(もちろん、成年後見人等が就くことがこたえではありません)

この本で、このことを考えるのにとても分かりやすい例が書かれていました。

認知症の方が、銀行で行員さんに手伝ってもらってどうにかこうにか、お金をひきだすことができていたのが、効率化に伴う支店の統廃合で支店がなくなり、ATMだけが残されたが、認知症の方には操作ができない。認知症の方がATMの操作が難しいのは、認知症による認知機能の低下ですが、この認知症の方が治療をしたり訓練をすることが解決策でしょうか。

著者は、社会モデルという言葉を使わず、コミュニティモデルという言い方をされますが、障害福祉でいう社会モデルの考え方と同じで社会の側が変わらなければいけないということになります。

認知症にやさしいまちではなく、認知症フレンドリー社会を作ると著者はいいます。

「日本語でやさしいというのは、認知症の人が困っているのでやさしくしてあげましょうという意味合いで、認知症でない人が認知症の人に手を差し伸べてあげましょう、という構図があります。」(p.22)

「さまざまなサービスが、認知機能が低下した人が、利用できるように設計されているのかどうか、そもそもそうした想定をしているいるのかどうか」(p.23)

認知症によって引き起こされる課題にその都度対処していく「認知症対処社会」ではなく、社会を、認知症の人にとって使いやすい、認知症の方に適応している「認知症フレンドリー社会」に作りかえていかなければならないというのが著者の主張です。

そのためにはどうしたらいいか。英国と日本の先進事例が紹介されています。

地域ごとの活動を横糸とし、業種やテーマごとの活動を縦糸として、編み合わせていくことを提案されています。

この本を読むと自分たちのまちでは、どうしたらいいのだろうか、と考えてみたくなります。
あるまちの認知症ネットワーク推進会議の構成委員は、医師、歯科医師、ケアマネジャー、家族会、民生委員、警察署、等になっています。
この構成はいかにも、認知症の方がトラブルを起こすのでその対処はどうしていったらいいかを検討する会のように思われます。

市全体レベルから地域に検討の場を移していったら、どうでしょうか。
たとえば、私の住む地域だと、スーパーの店長さん、コミュニティバス会社の方、図書館司書などにも入ってもらって、認知症の方にフレンドリーな社会はどうあるべきか考えていけたらステキだなぁと、この本を読んでいて思えました。

こちら側にいて、あちら側の人を助けたり、あちらの側の人が引き起こすトラブルに対処しようというのではなく、自分たちがいっしょに暮らす社会を作りかえていくという発想です。

認知症フレンドリー社会(同時に、障害のある人にとってもフレンドリーな社会でなくてはなりませんが)を仲間といっしょに構想し、作っていきたいと思いました。

田舎の母は、デイサービスに行くのに、あちこち利用者をひらって回っていくので1時間かかると何度もぼやいていましたが、まだまだ元気でした。
※写真は、何が写っているかよくわかりませんが、篠山城趾(丹波篠山市)を撮ったものです。