先週のおわり、駐車場に向かっていたら、遠くで鳥が鳴くのが聞こえました。
ホトトギスですね、と言われて、鳥の声や花の種類やそういったものには疎いので、そうか、ホトトギスなんだ、と思いました。

季節が変わったと思うときに、古今和歌集や新古今和歌集を開いて、大昔の人の季節をうたった歌を読んでみたりしています。
1千年以上も前の人たちが、同じように季節を感じていたと言うことを思うと、少しおだやかな気持ちになります。

古今和歌集巻第3の「夏歌」で、数えるとホトトギスがでてくる歌が、ほととぎす、郭公、時鳥と表示は別として28首ありました。ぱらぱらとめくると巻第11の冒頭「恋歌一」にも巻第13の「恋歌三」にも、郭公が登場するので、全部でいくつホトトギスがでてくるかは、わからないのですが、1千首のなかで30首は、けっこう割合としては高い、ホトトギスが昔の人は好きだったんだと思いました。

30首ほどのホトトギスがらみの歌のなかでは、「恋歌一」の巻頭にある次の歌がいいかな。

郭公鳴くや五月のあやめぐさあやめも知らぬ恋もするかな(詠み人知らず)
(ほととぎすが鳴いているよ。そんな5月に飾るあやめ草ではないけれど、あやめ(物事の道筋)を見失うぐらいの恋をしていることだ。-https://manapedia.jp/text/2153

通勤途上にある神社の木も、その太さから、だいぶ長い歴史がありそうです。新緑が美しいです。
なぜ「青々とした緑」というのか、「チコちゃんに叱られる」(NHK)でやっていましたね。平安時代より前は、色の区分が、赤、黒、青、白しかなかったとか。その後、緑もでてきたけど、青のりとか緑にしかみえないものも昔のなごりか青って使っているということでした。

人の営みってずーっと昔から続いているのをあらためて思いますが、果たして、今から1千年先の未来はあるかな。